2024-25シーズンが開幕した「ABB FIAフォーミュラE世界選手権」。2025年5月17・18日には、東京・有明で第8戦が開催され、ポルシェとタグ・ホイヤーのレーシングチーム「TAG Heuer Porsche Formula E Team」も参戦します。
チーム結成にいたるまで、ポルシェとタグ・ホイヤーは数十年間にわたり良好な関係を構築し、特にモータースポーツに対する熱い想いを共有してきました。

2者の「絆」を振り返るために、前回は「TAG Heuer Porsche Formula E Team」の前日譚#1として、ジャック・ホイヤー氏の偉業、そして2つの「カレラ」のプロローグに触れました。
今回の前日譚#2では、ポルシェとタグ・ホイヤーどちらにも縁深い伝説の名ドライバーと、Formula 1®で一時代を築いたターボエンジンに言及し、前回から引き続きモータースポーツを通じて両雄の間に築かれた「絆」を解き明かして参ります。
ジョー・シフェール
伝説的ドライバーが築いた架け橋
スイス出身のジョセフ・“ジョー”・シフェール(英読み:ジョー・シファート)は、ジャック・ホイヤー氏が1969年に初めてスポンサー契約を結んだレーシングドライバーです。
当時、ポルシェのエースドライバーでもあり、スイスでポルシェディーラーを経営していたジョー・シフェールは、ホイヤー初のアンバサダーに就任すると、大胆にも“ビジネス”を持ち掛けます。
なんとジャック・ホイヤー氏に自らポルシェ〈911〉を売り込み、購入させることに成功したのです。

一方でジョー・シフェールが、ホイヤー社のビジネスも華麗にこなしていたという逸話もあります。どうやらレーススタートの直前に、グリッドについたドライバーたちにホイヤーのクロノグラフを売り込んでいたのだとか。
この面白い逸話の背景には、スポンサー契約に記載された項目の一つがあったようです。ジョー・シフェールはホイヤーの製品を卸売価格で購入し、レース関係者に販売する権利を持っていたのです。彼は根っからのビジネスマンだったのか、1970年代初頭には多くのF1関係者の腕にはホイヤー社のクロノグラフが光っていたそうです。

ジョー・シフェールは、1967年に初めてポルシェワークスに参画しました。そして1968年からはまさにジョー・シフェールの時代となりました。
世界スポーツカー選手権で3勝を上げてエンジンをかけると、ル・マン24時間レースでポルシェ〈907〉を繰り、ペドロ・ロドリゲスと壮絶なバトルを繰り広げてクラス優勝を手にします。続く、デイトナ24時間では2位に入賞を果たしました。

翌1969年の世界スポーツカー選手権では10レース中7レースで優勝。これは圧倒的な強さで世界を席巻したポルシェ〈917〉快進撃の幕開けでした。
〈917〉の活躍については、以前の記事[フェリーが継承し現代に繋いだポルシェの遺伝子]でも言及しているので、ぜひご覧いただければと思います。

熱き友情により生み出された
銀幕の頂『栄光のル・マン』
ル・マン24時間レースを舞台にした映画『栄光のル・マン』で主役を演じたスティーブ・マックイーンは、その役柄の深い理解を得るために、その時代のベストドライバーであるジョー・シフェールと出会い、友情を育みます。
そして劇中では、ジョー・シフェールが個人所有していたポルシェ〈917〉に乗り、彼と同じホイヤーのロゴが右胸にあしらわれたレーシングスーツに身を包み、まさにジョーの魂を宿して撮影に臨んだのです。

ちなみに、当時ジョー・シフェールはホイヤーの「オータヴィア」を好んで着用しており、劇中でマックイーンの右腕に鎮座する「モナコ」はジャック・ホイヤー氏から直接贈られた一品のようです。
このように、モータースポーツから銀幕の世界までにおいて、ポルシェとホイヤーの架け橋となったジョー・シフェールでしたが、映画が公開されてからわずか4ヵ月後の1971年10月24日にイギリスで開催されたノンタイトルF1レースに出場し、事故によって命を落としました。
35歳という若さでしたが、彼の功績は多くの人々の胸に焼き付いています。
ジョー・シフェールと
ポルシェターボエンジンの原点
1974年に、ポルシェは世界で初めて、市販スポーツカーにターボチャージャー付エンジンを搭載しました。それはまさに自動車業界において衝撃的な出来事でした。
この〈911 ターボ〉以降、50年以上にわたってポルシェはターボエンジンを進化させ続け、2024年末に販売開始した〈911カレラGTS〉にはついに電動ターボチャージャーを搭載し、「T-ハイブリッド」システムとして、新しい〈911〉を世に送り出しました。

近年、快進撃を続けてきたポルシェ市販車モデルの心臓部であるターボエンジンの歴史の原点には、実は伝説的なレーシングカー〈917〉があるのです。

1971年、ドイツ本国にあるポルシェのヴァイザッハ開発センターで、ターボチャージャー付きの4.5リッターエンジンを搭載したポルシェのレーシングカー〈917/10 スパイダー〉が初走行を果たしました。
そしてその850馬力近い出力を誇る鉄の馬の手綱を握ったのが、ジョー・シフェールです。伝説的な名ドライバーは、ポルシェのターボエンジン時代の幕開けにも立ち会っていたのでした。
F1を席巻したTAGポルシェエンジン
そして、そのヴァイザッハ開発センターで、1983年にF1の歴史を変える強力なエンジンを搭載したフォーミュラカーがテスト走行をしていました。
〈マクラーレン MP4/2〉 は、F1コンストラクターのマクラーレンが開発したF1マシンです。
その心臓部には、ポルシェが設計した1.5リッターV6ツインターボ・エンジンが搭載されました。このエンジンは開発当初は約720馬力を出力していましたが、その後勝利のために、最高出力が1,040馬力にまで引き上げられました。

このエンジンは、マクラーレンチームの共同オーナーであるマンスール・オジェ氏が率いるテクニーク・ダバンギャルド (TAG) の資金を得て開発したものです。そのため、エンジンのバッジネームに「TAG」と記され、このエンジンも「TAGポルシェエンジン」と呼ばれるようになりました。
この先進技術への投資会社テクニーク・ダバンギャルド (TAG) こそ、後にホイヤーを買収し、現在の「TAG Heuer」の名称とロゴのもとになった企業なのです。※
※1985年、ホイヤー社はピアジェの傘下から離れ、TAGグループからの資金援助を受けて「ホイヤー」から「タグ・ホイヤー」に社名を変更しました。1999年にはホイヤーはLVMHに売却されますが、ブランドやロゴは「タグ・ホイヤー」のまま残っています。

驚異的なパワーを炸裂させる〈MP4/2〉はライバルの追従を許しません。1983年にオランダGPでデビュー後、1984年シーズン中にはなんと16戦中12勝を挙げ、圧倒的な力を見せつけたのです。
ポルシェ製TAGターボエンジンは、マクラーレン・チームに3年連続でF1ワールドチャンピオンシップタイトルをもたらします。そして、1987年までに表彰台54回、優勝25回、コンストラクターズタイトル2回、ドライバーズタイトル3回という数々の栄光を勝ち取るにいたりました。
TAGポルシェエンジンで
現役復帰し勝利をつかんだニキ・ラウダ
マクラーレン・チームをF1での3連覇に導いた立役者のひとり、ニキ・ラウダは映画『ラッシュ/プライドと友情』のモデルにもなった伝説的レーサーです。

ニキ・ラウダは、「コンピューター」のようなミスが極めて少ない走りを魅せながらも、1976年のドイツGP中のマシントラブルによる大事故で、全身おおやけどを負ったうえに、有毒ガスを吸い込んだことで、数日間生死の境をさまよいました。
しかし、たった6週間後にはレース復帰し、翌年には2度目のワールドチャンピオンに輝くという「不死鳥」と言われた天才ドライバーでもあり、その伝説は現在にまで語り継がれるF1のレジェンド中のレジェンドです。
そんなラウダは、一度は引退してサーキットから去ったものの、1981年にマクラーレン・チームで現役復帰。ポルシェ製TAGターボエンジンと共に、チームメイトであるアラン・プロストとチャンピオン争いを繰り広げ、結果1984年にラウダにとっては3度目のF1ワールドチャンピオンに輝きました。
新時代を切り開く
最新のElectricテクノロジー
2つの「カレラ」、ジョー・シフェール、そしてTAGポルシェエンジンなどを始めとして、モータースポーツ成長期の中で共鳴し合いながら歩んできたポルシェとタグ・ホイヤー。
このほかにも、1999年にはタグ・ホイヤーがポルシェ・カレラカップのスポンサーとなるなど、さらに2社は縁と絆を深めていきました。
そして、新時代に向けて互いに“Electricの将来性”に注目した2社は、2019年に「TAG Heuer Porsche Formula E Team」という新たなパートナーシップの段階に辿り着きました。
2社が、モータースポーツと勝利に懸ける情熱は計り知れません。ポルシェにおいても、タグ・ホイヤーにおいても、そのプロダクトにはモータースポーツという共通のDNAが脈々と流れています。

世代を超えて愛される製品を生み出すために、そして卓越した創造性を貫くためには、レースでのハイパフォーマンスは欠かせません。「TAG Heuer Porsche Formula E Team」のレース活動から製品開発に至るまで、強固なパートナーシップが築かれたのは、ごく自然の流れといえるでしょう。
2025年5月16日時点、モナコでの第7戦を終えて「TAG Heuer Porsche Formula E Team」はチーム部門で1位(105ポイント)、ドライバー部門ではアントニオ・フェリックス・ダ・コスタが2位、パスカル・ウェーレインが3位についています。
タイトル獲得を目指して戦う中、2025年5月17・18日に東京で開催される2レースでも熾烈な争いが予想されます。ぜひ当日は会場で盛り上がり、歴史的瞬間の証人となってみてはいかがでしょうか。
Words:Yuki Kobayashi / Tatsuhiko Kanno
Photographs:Porsche AG