2025年4月に上海モーターショーで発表された、911 Spirit 70。911カレラGTSをベースにしたヘリテージデザインモデル第3弾で、限定1,500 台が生産されました。
1970 年代から1980年代初頭の雰囲気を醸し出すカラー&パターンで装ったカブリオレには、当時ならではの“解放感と終わりのない夜”の空気感が漂います。
自動車業界に限らず、ラグジュアリーブランドは度々、過去のアーカイブからデザインを再解釈し、ヘリテージとして現代のコレクションに蘇らせています。まるで、それが誇り高きブランドの使命であるかのように。
エルメスのバーキン、カルティエのトリニティ、ポルシェの911といった、ブランドを象徴するアイコンの定番ラインとは違い、ヘリテージは限定のコレクション展開が一般的です。しかしブランドはなぜ、ヘリテージを世に送り出すのでしょうか。
今回、EBI DIGITAL STUDIO 編集部は、911 Spirit 70 が生まれた背景にある1970年代の社会情勢、そして当時のポルシェを振り返り、ヘリテージモデルの使命に迫りたいと思います。
1970年代は「現代社会の夜明け」
1970年代における最大のムーブメントは、なんといってもディスコでしょう。フランス発祥のカルチャーのようですが、1960年代末からアメリカで火が付き、世界中の老若男女が熱狂しました。
しかしその煌びやかなナイトカルチャーの背景にあったのは、社会の大きな混乱と変革です。2度にわたるオイルショック、ベトナム戦争を起因とした物価高騰と不況で苦しむ人々が、せめて週末くらいは日常を忘れたいと、華美な衣装に身を包み、ディスコで夜中踊り明かしました。まさに映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の世界です。
その舞台となったのは、大都市圏のクラブ。ここには一般男性はもちろん、LGBTや黒人、ラティーノ、そして社会進出した女性たちが集い、人々は人種、国境、年代の垣根を超えて盛り上がりました。
同じ頃、女性の自由と権利を得るために、ウーマンリブ運動が活発化。また、1970年6月にニューヨークで初のプライドパレードが開催され、多様なセクシュアリティへの理解と受容を求めて声を上げるようになりました。ディスコ・カルチャーが隆盛したアンダーグラウンドなクラブ・シーンでは、まさに精神的な変革の萌芽を育てていったのです。
これまでの伝統的な価値観に異を唱え、旧体制に背を向けた1970年代。自らの権利を守るために、声を上げ、壁を打ち破ろうと奮闘した人々は、「多様性」を説く今の時代の礎を築いたと言えるでしょう。
ポルシェの変革と挑戦
オイルショックにより、自動車業界では新車開発において燃費と環境性能が最重要視されました。その中で、ポルシェは変革と、他社とは異なる進化を同時に進めていったのです。
まずポルシェは1972年8月1日に有限会社(KG)から株式会社(AG)へと組織変更しました。それまでは主に家族による少人数経営でしたが、新体制下では会社の意思決定の場において、ポルシェ一族を起用しない方針が打ち出されたのです。
エルンスト・フールマンを代表とした新経営陣は生産能力の拡大と、新技術への投資を叶えました。その一つがポルシェのシンクタンク、ヴァイザッハ開発センターの設立です。
1971年以降、様々な専門部署との緊密な連携を図り、最初の図面作成からプロトタイプの完成まで、車両の開発、最先端技術のテストなどを担い、技術面で貢献してきました。そして新たな“ポルシェの伝統”を築き上げていったのです。
トランス アクスル構造の導入
トランス アクスル構造の導入は、924、928などのFRモデルを生み出します。ポルシェの哲学、かつ伝統であったRR構造から離脱し、4 ~8 気筒の幅広いエンジンラインナップを基盤に販売台数を伸ばしました。928は、1978年のカーオブザイヤーにも選ばれています。
次世代の911、Gシリーズ
1989 年に964世代が登場するまで、 911 の代表格となったGシリーズ。エンジン排気量を 2.7リッターに拡大したほか、安全性と快適性への意識が高まる中で衝撃を吸収する「ビッグバンパー」を採用。リアのレッドパネルに配置されたPORSCHEワードロゴは、唯一無二のリアビューを確立しました。
石油危機の中で登場した、TURBOシリーズ
他社が燃費重視の新車を販売する中、ポルシェは1975年にブースト圧制御ターボチャージャーを搭載した911ターボを発表します。量産型スポーツカーとしてターボチャージャーを搭載するのは世界初。0から100km/hまでを5.4秒で加速し、最高速度250km/hを超えた911ターボ3.0は、当初、限定生産の計画でしたが、結果、3年間で2,850台ものが生産されました。
レーシング部門をプロフェッショナル化
フェルディナンド・ピエヒによって、1972年までにレーシング部門が本格的にプロフェッショナル化。1970年代、ポルシェは数々の栄光と伝説的な記録をレースで打ち立ててきました。917の活躍、ポルシェターボエンジンについて別記事でも言及していますので、ぜひそちらもご覧ください。
911 Spirit 70が魅せる時代の感性
この限定版スポーツカーは、ポルシェブランドの特別な魅力を体現しています。当社の車両のデザインはすべて、その歴史と深く結びついています。これらのモデルは、さらに一歩先を行くものです。最先端のスポーツカーにおいて、歴史的なデザイン要素をどのように再解釈しているかを示すモデルです
スタイル・ポルシェ担当副社長のミヒャエル・マウアー
なぜラグジュアリーブランドがヘリテージデザインを復刻して、世に送り出すのか。
それは「時空を超えて価値を持ち続ける、類稀な存在である」という宣言だと思うのです。
流行が消費され尽くす現代において、何十年も前に生まれたコンセプトが、いまなお美しく、力強い意味を持つこと自体が、ブランドの哲学と価値を雄弁に物語ります。
ヘリテージとは、過去をなぞる行為ではなく、現代の技術と感性で“本質”を再定義する知的なチャレンジなのです。
歴史あるラグジュアリーブランドとはいえ、根本的には当然ビジネスであるが故に、価値あるものを提供し続けなければ、その存在意義は薄れ、あっという間に“遺産”になる恐れもあります。
だからこそ自ら存在意義と伝統を証明するために、人々の記憶と結びつくヘリテージデザインをより価値あるものにブラッシュアップして提供を続けるのです。
911 Spirit 70でいえば、1970年代の躍動感、精神性、感性をスタイリッシュに、鮮やかに映し出すこと。そして時代を席巻した911の物語を現代流に再定義することです。
現代解釈されたカラー&パターン
私たちの視線を惹きつける、エクステリアの「オリーブ ネオ」は911 Spirit 70 のためだけに開発された新色です。
ハーベスト ゴールド、アボカド グリーン、そしてビビッドなオレンジなど、1970 年代のカラーパレットは黄味を帯び、解放的な意識や生き生きとした感情が表現されています。そこには「私たちはカラフルである」、「大胆である」、そして「世界を変える準備ができている」という主張があるようです。
「オリーブ ネオ」は当時のエネルギッシュ、かつスリリングなイエローのエッセンス、サイケデリックな感覚、そして現代の美意識を融合させて生まれたカラーです。そこにアクセントとして、わずかにゴールドを帯びたグレーカラーの「ブランズィト」が加わることで、車全体にハーモニーをもたらします。
そしてインテリアを飾るのは、1977 年に初めて928 のインテリアを飾ったポルシェオリジナルの「パシュカ」パターンです。開発当時、デザイン チームが目指したのは、レースの始まりと終わりを告げるチェッカー フラッグでした。
チェッカーフラグを振るモーションだけでなく、その瞬間に人々の心に訪れるエモーションを表現するべく、さまざまな大きさの長方形を組み合わせてつくられたのです。数々のレースで記録を打ち立ててきたポルシェの勝利、パフォーマンスと革新を象徴するデザインといえるでしょう。
レトロなエッセンスと融合した最先端のテクノロジー
911 Spirit 70は、最新の911GTS(992.2型)に採用されているT-Hybrdテクノロジーを搭載しています。新開発の3.6リッター水平対向エンジンは、高電圧システム、eTurbo、そして新型PDKの電気モーターとの組み合わせで、システム出力398kW(541hp)、トルク610Nmを実現しました。
ここで重視すべきは、1970年代から続いてきたテクノロジーの進化です。
70年代の新体制ポルシェは、トランスアクスル構造などの時流に乗った進化、TURBOシリーズなどの時代に反発した進化、2つの正反対の潮流で車を進化させてきました。
その成果が結実し、今、このBEVの時代に、時流を迎合しながらも伝統を守る「もう一つの選択肢」、レース発祥のT-Hybridシステムの実現に至ったのではないでしょうか。
ポルシェのヘリテージデザインモデルは、単に過去モデルをエモーショナルに復刻するのではありません。時代特有のユニークな感性と最先端のテクノロジーを融合させることで、911の物語を未来へと紡いでいくのです。
911 Spirit 70に見出す未来への活力
911 Spirit 70は時代の豊かな物語を体現し、私たちに新たなポルシェライフの楽しみ方を教えてくれるでしょう。
考えてみれば、1970年代はポルシェオーナー自身、もしくは若いオーナーの親世代が青春を謳歌した時代です。車が纏う当時の空気感はノスタルジックな琴線に触れ、郷愁の念さえ浮かびます。
残念ながら、環境問題、女性の権利、多様性の受容など……1970年代に露呈した人類の課題を、私たちは未だ解決できていません。しかし、下を向いてはいられないでしょう。
かつて、人々は夜に自身を解放し、顔を上げる力を絞り出しました。一人ひとりから生まれた僅かなエモーションは、やがて大きなダイナミズムとなって世界を動かしたことを、私たちは知っています。
だからこそ私たちは、1970年代の熱風を追い風に、新たな未来を切り拓いていくことができるでしょう。そう信じています。
次なるヘリテージモデルはいよいよ、1980年代に突入するのでしょうか。テレビゲームという新たなエンターテインメントが生まれ、携帯電話やパーソナルコンピューターが市場に登場し、自動車においても電子制御がより介入する時代です。
激動の時代をオマージュした新たなモデルの発表に、ぜひ期待しましょう。
Words:Yuki Kobayashi / Tatsuhiko Kanno
Photographs:Porsche AG