2024年、かつてポルシェデザインが生み出した伝説的なタイムピース「クロノグラフ 1」の系譜に、新たなエディションが加わりました。
「ポルシェデザイン クロノグラフ1 リミテッドエディション for HODINKEE 2024」は、時計ライフスタイルメディア「HODINKEE」とポルシェデザインがコラボレーションしたトリビュートモデルです。
2024年7月に発表され、世界350本限定で販売された本モデルは、時代を超越したミニマルなデザインと、最先端のテクノロジーを融合しています。

1972年に元祖である「ポルシェデザイン クロノグラフ1 by オルフィナ」(以下、クロノグラフ1)が登場して以来、50年以上が経過した今も、様々なバリエーションに様相を変えながらも、その魂が受け継がれていっています。
しかし、なぜ「クロノグラフ1」シリーズは今もなお、多くのファンを魅了し続けるのでしょうか。
日本最大のポルシェ正規ディーラーを展開するEBI GROUP の各店舗では、今後ポルシェデザイン製ウォッチの販売を増やしていくにあたり、あらためて今、ポルシェデザインを代表するこのタイムピースが紡いできた系譜をしっかりと読み解いていきたいと思います。
F.A.ポルシェが生み出した
唯一無二のマスターピース
「クロノグラフ1」をデザインした、フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(F.A.ポルシェ、以下、愛称:ブッツィー・ポルシェ)。
彼はポルシェ創始者であるフェルディナント・ポルシェ博士の孫にあたり、現在のブランドを象徴するレジェンダリーモデル〈911〉の初期型をデザインした張本人です。

「クロノグラフ1」は元々、1972年にブッツィー・ポルシェがポルシェ社から独立し、ポルシェデザイン事務所を立ち上げて、初めて生み出した正式なプロダクトでした。
その依頼主は彼の古巣であるポルシェ社であり、長年勤め上げた従業員に贈る記念となる腕時計をつくってほしいと、ブッツィー・ポルシェに依頼したのです。
関係者への非売品として生み出された「クロノグラフ1」ですが、瞬く間に評判となり、ファンからの熱狂的なリクエストによって、市販品として発売されるまでに至りました。ではなぜ、そこまでの熱狂の渦が巻き起こったのか、詳しくデザインとそのエピソードに迫ります。
デザイン史に残る
世界初・マットブラックの腕時計
ブッツィー・ポルシェにとって腕時計は単なる装飾品や、時間を見るだけのものではありません。
〈904カレラGTS〉や〈907〉といった世界最高峰のレーシングカーデザインを手がけ、サーキットで勝利に貢献してきた彼にとって、腕時計は過酷な環境下においても必ず正確なタイムを測ることができる、「精密なツール」であるべきでした。
いつ、どの角度から見ても、また、いかなる光条件下でも、正確に刻まれた時間を瞬時に読み取れるように。
そこで、自身の代表作でもあるスポーツカー〈911〉のコクピットから着想を得て、航空機や車の計器に用いられる究極の機能とも言える“コントラスト”を、このスポーツクロノグラフのデザインに応用したのです。

こうして、光沢のない黒地に白のインデックスを浮かび上がらせた、「ポルシェデザイン クロノグラフ1 by オルフィナ」は誕生しました。それは、継続生産される腕時計としては、世界初となるオールマットブラックの外装を纏っていました。
速度を計測するためのタキメーターと赤いクロノグラフ秒針が、まさにポルシェのスピードメーターそのものを彷彿とさせ、モノトーンのケース内で存在感を放っています。
レースが引き寄せた運命の出会い
この腕時計を実際に製造したのが、当時、高い堅牢性で定評があったスイスの時計メーカー、オルフィナ社です。ポルシェデザインとオルフィナが結ばれた理由は、とても運命的なものでした。
当時、ウンベルト・マリオーリという人物がオルフィナ社を買収して企業オーナーになりました。なんと彼は、ブッツィーが設計したレーシングマシン〈907〉を駆って、1968年開催の耐久レース「タルガ・フローリオ」を優勝に導いた天才ドライバー、その人だったのです。

そのような縁があったことで、必然的にブッツィーはオルフィナへ製造を依頼しました。かくして、何年も前に開催されたレースが引き寄せた運命的な出会いによって、ポルシェデザインの名を刻んだプロダクトが世に出ることができたのです。
“形態は機能に従う”
ブッツィーの原点となるデザイン哲学とは
正確に時間を刻み、読み取る機能を持つべき「クロノグラフ1」において、「マットブラックに白いインデックス」のデザインと、高い堅牢性が定評の時計ブランドだったオルフィナの技術力の融合は、まさにブッツィーにとって必然的な「形態」でした。
「完璧なデザイン(形態)は、常に製品の機能から生み出される」
この言葉はポルシェファンにとって、〈911〉をデザインしたブッツィー独自の哲学と思われがちですが、当然この思想には源流があります。この格言を理解するには、彼のデザインの根底に流れる「バウハウスの理念」の説明が不可欠です。

バウハウスは、1919年に設立された伝説的な造形学校です。
バウハウスでは、芸術が一部の人が楽しむためのものではなく、すべての人が豊かな生活を送るための必需品となるように、芸術と技術ないし機能性を融合させることを説きました。つまり、優れたプロダクトデザインを生み出すためのイノベーティブな教育理念を掲げていたのです。
先鋭的なデザイン教育を行うために、音楽家のカンディンスキー、画家のパウル・クレーといった、時代を代表する芸術家が世界中から招聘されました。そして、現代の優れた工業製品におけるモダン・デザインの源流は、すべてこのバウハウスにある、とまで言われるようになったのです。

残念ながら、バウハウスはナチスの圧政により、14年間しか存在することはできませんでした。しかし、卒業生であり、“バウハウス最後の巨匠”と呼ばれるスイスのクリエイター、マックス・ビルは、ウルム造形大学の初代校長として、バウハウスの理念を継承しました。
ブッツィーは、そのウルム造形大学でインダストリアルデザインを学んだため、彼のデザイン哲学にはバウハウスの理念が色濃く影響を及ぼしているのです。そう、「完璧なデザイン(形態)は、常に製品の機能から生み出される」という理念は、バウハウスの理念そのものといえます。
現在のポルシェブランドの根底に息づく、このバウハウスのデザイン哲学の詳細については、ここでは語り尽くせないので、いずれ別の機会であらためて言及できればと思います。
映画「TOP GUN」で
再び、三度、注目を集める
「クロノグラフ1」が一般に発売されてから14年の時が経った1986年、ハリウッド映画「トップガン」で再び「クロノグラフ1」が注目を集めました。劇中、トム・クルーズが演じるミッチェル海軍大尉はオリジナルを着用し、俳優同様に多くの時計ファンを魅了したのです。

そして2022年公開の続編「トップガン マーヴェリック」でも、主人公役のトムが当時とまったく同じ時計を着用していたことに驚きを隠せません。どうやら、1985年に1作目の撮影が始まる際に、ジェリー・ブラッカイマー(前作および本作のプロデューサー)の強い意向で選ばれたこの時計は、35年以上に渡って丁重に保管されていたようです。
本時計がこの映画シリーズに採用された背景には、1970年代に西ドイツ空軍やNATO空軍で、実際に正式採用された「クロノグラフ1」の軍用バージョン※の存在が関係しているのではないでしょうか。
※ 軍用バージョンは、ムーブメントが「バルジューCal.7750」から「レマニアCal.5100」へ移行した後期モデルのみ
また、「トップガン」の製作陣が、ポルシェはもちろんのこと、「クロノグラフ1」へ非常に強い思い入れがあったのは間違いないでしょう。現に、「トップガン マーヴェリック」の監督であるジョセフ・コシンスキーの腕ではその黒いタイムピースが特異な存在感を放っているのですから。

(2023年クリストフォーラスマガジン406号より)
1作目は〈356スピードスター〉、2作目は〈911S〉と、空冷ポルシェを愛車にする魅力的なヒロインたちが最高にクールで、スクリーンを通じて製作陣のポルシェへのリスペクトが溢れ出ている傑作映画シリーズです。
ポルシェデザイン社50周年を機に
リブートして販売開始
2000年代に入っても「クロノグラフ1」へのラブコールは鳴りやみません。ポルシェデザインは設立50周年を機に、「クロノグラフ1 – 1972 リミテッド・エディション(以下、1972リミテッド)」を世界500本限定で2022年に発売し、瞬く間に完売しました。

オリジナルモデルへのオマージュとして捧げた本作は、直径40.8ミリという1972年当時のケースサイズを寸分違わずに踏襲しました。
驚くべきことに、現代の時計のエキスパートたちがどんなに頭を捻っても、デザインにおいて手を入れる余地がほとんどなかったそうです。それほどまでに、ブッツィー・ポルシェが手掛けた「機能に従った形態(デザイン)」は非の打ち所がない、完璧に仕上がったものだったのです。
オリジナルとの大きな変更点は、ブレスレット形状の変更、自社ムーブメントの搭載、そしてオールチタン素材へのアップデートでしょう。
チタンは、希少な金属のうえに加工が非常に難しいことで知られてます。しかし、ステンレスよりも約40%も軽量で、アレルギーリスクも低いなど、腕時計の素材としては理想的です。残念ながら1972年当時の技術水準では、チタン素材での製造は叶いませんでした。

しかし、実は1980年に世界で初めてオールチタンの腕時計を実現したのは、他でもないブッツィー率いるポルシェデザインでした(IWCの技術協力があって実現)。そのため、「クロノグラフ1」がオールチタンとして生まれ変わったことを、天国のブッツィーが知ったのならば、さぞかし喜ぶに違いありません。
この「1972リミテッド」の売れ行きから、同年の2022年より、後続モデルとして「クロノグラフ1 オールブラック ナンバード・エディション(以下、オールブラック ナンバード)」が一般販売され始めました(年間生産を最大1,000本と限定)。

そしてこのエディションをベースにしているのが、2024年に発売されたHODINKEEとのコラボレーションモデルです。



ブッツィー・ポルシェだからこそ
生まれた2つのレジェンド
車と時計、とりわけスポーツカーとクロノグラフは、見えない糸で繋がれ、互いに深く関わり合っています。マクロとミクロ、それぞれの世界で研鑽を積み重ねてきた精密機械である両者は、そのどちらもがオーナーの“愛機”となり得る、特別な存在です。
だからこそ、ポルシェのファンにとってポルシェデザイン「クロノグラフ1」は憧れの対象であり、深く心酔してしまうのでしょう。

ブッツィーは〈911〉をプロデュースした後、1972年にポルシェ社再編と共に、自らの新境地を求めて独立を果たしました。当時大ヒットを続ける〈911〉とも、そして偉大なる父であるフェリーとも、決別したのです。その決断は容易なものではなかったはずです。
ポルシェデザイン「クロノグラフ1」は、そんなブッツィーの様々な想いが交錯する中で製作した渾身の作品だったからこそ、50年以上もの間、唯一無二のマスターピースであり続けたのではないでしょうか。

そして長い年月の間に、歴代のデザイナーたちが独自の進化(アレンジ)を加えて生み出した「クロノグラフ1」シリーズは、まるで敬愛するブッツィーに贈られるラブレターのようです。
おそらくこれからも後世のデザイナーたちは、彼が生み出した唯一無二のデザインを継承しながら、愛を込めて、進化させていくのでしょう。
ブッツィーが生み出したもう一つのレジェンド〈911〉のように。
【参考情報】
ポルシェデザイン
クロノグラフ1 リミテッドエディション for HODINKEE 2024
・直径: 40.8mm (1972年オリジナルと同径)
・厚さ: 14.15mm
・ラグ幅:20mm
・ケース素材: チタニウム製/チタンカーバイドコーティング
・文字盤: ブラック
・防水性能: 100m
・ムーヴメント:ポルシェデザイン・キャリバーWERK 01.140搭載(1972リミテッド/オールブラックを踏襲)
・ダイヤルデザイン:6-9-12サブダイヤルレイアウトを継承(12時位置に30分積算計、6時位置に12時間積算計、9時位置にスモールセコンド)。
・ストラップ/ブレスレット: チタニウム製/チタンカーバイドコーティング、折りたたみ式留め金付きチタン
定価:1,815,000円(税込)

Words:Tatsuhiko Kanno / Yuki Kobayashi
Photographs:Porsche AG / Yusuke Mutagami