すべての女性の活躍と勝利を願って。
来る3月8日は「国際女性デー」として知られています。 1904年3月8日に、アメリカ・ニューヨークで女性労働者が婦人参政権を求めて起こしたデモが起源となり、1975年に国連が制定しました。
世界が女性の社会的、経済的、文化的、政治的な成果を称える「国際女性デー」にちなみ、本記事では、ポルシェにまつわる女性たちに注目します。
今年はポルシェのDNAでもあるモータースポーツにおいて、ポルシェと共に伝説を打ち立てた女性レーサーたちにスポットライトを当てました。彼女たちの偉業を称えることで、EBI DIGITAL STUDIO は「国際女性デー」を応援したいと思います。
女性初の356レーサー
Gilberte Thirion ジルベルト・ティリオン
ポルシェが1951年に「ル・マン24時間レース」でクラス優勝を果たし、モータースポーツ・ブランドとして注目を集め始めたとき、その人気に追い風を起こした女性レーサーがいます。
女性レーサーは、ベルギー出身のジルベルト・ティリオン。
父親であるマックス・ティリオンは、モータースポーツに情熱を傾ける実業家でした。本人も戦前はブガッティを繰り、レーサーとして活躍されていたようです。娘のジルベルトは8歳のクリスマスに自身の車を欲しがるほど、父の影響を大いに受けていたようです。
社会人になって父が経営する会社の秘書として働きだすと、彼女はヒーリー1211に乗って「カンヌ・サン・ラリー」(1951年)でレーサーとしてデビューを果たします。しかし、惜しくも敗退した模様。
転機となったのは、1952年。ブリュッセルで開催されたモーターショーに父と訪れて、独特なアルミボディを纏ったポルシェ356 SLに、24歳のジルベルトは一目惚れしました。そして父親も、愛娘のために、なんとかしてクーペを手にします。
同年2月、早速、父親を副操縦士に据えて、ジルベルトは「ラリー・ フェミニン・パリ~サン・ラファエル」へ参戦して、クラス2位を果たしました。
以降、彼女は356を相棒に、様々な耐久レース、サーキット、ヒルクライムに参戦し、活躍していきます。ジルベルトが、ポルシェと勝ち得てきた戦績を見てみましょう。
1952年 356 SL
・ラリー・モロッコ参戦
・カサブランカ12時間レース参戦
・カンヌ・サン・ラリー【5位】
・ウォルバーテム・サーキットにて、フライングスタートから1kmを超える距離で時速191kmの 世界記録を樹立。
1953年 356SL
・ヤブベーケサーキットで時速201km以上を記録。
1953年 356 1500S
・スパ・フランコルシャン24時間レースにて、ベルギー最優秀クルーとして名誉ある【クーペ・デュ・ロワ賞】受賞
・ パリ・サン・ラファエル女子ラリーに参戦するも、終盤の先頭争いにてクラッシュ。2ヶ月間の欠場を余儀なくさせられる。
1954年 356 1500S
・パリ・サン・ラファエル女子ラリー【3位】
・エビアン・モンブラン・メジェーヴ・ラリーで【4位・クラス優勝】
・カンヌ・サン・ラリー【4位・クラス優勝】
・ランドネ・デ・ルート・ブランシュ【6位】
・イエールサーキット12時間レース【成績不明】
・ユイ12時間レース【成績不明】
1955年 356 1500S
・ツール・ド・フランス自動車部門【5位】
1955年 ポルシェ 550
・スヴェリェス グラン プリ【12位】
ジルベルトはわずか5年の間に、異例のレーシングキャリアを築き上げていきました。
そして1956年、その年の最も優れたベルギーのスポーツ選手として「トロフェ・ナショナル・デュ・ メリット・スポルティフ」が贈られました。これはアスリートがそのキャリアの中で一度だけ手に入れられる名誉ある褒賞です。
彼女は10年ほどレーサーとして活躍しましたが、引退後を追うことはできませんでした。しかし、この若きレーシングドライバーの活躍が、女性レーサーの礎を築き、ポルシェのモータースポーツ分野を前進させる原動力になったことは疑いようのない事実でしょう。
ル・マンの女王
Anny-Charlotte Verney アニー=シャルロット・ヴァーニー
ポルシェが悲願のル・マン24時間レースでの総合優勝を果たした1970年。その4年後、1974年よりル・マンに10年連続で出場した女性レーサーがいるのをご存じでしょうか。
その女性レーサーの最多出場記録は、2026年3月現在でも破られていないというので驚きです。しかも10年のうち9年は911カレラRSR、935 K3、カレラRS、934とポルシェのステアリングを握っていたというので、取り上げないわけにはいきません。
彼女の名前は、アニー=シャルロット・ヴァーニー。フランス出身の元レーサーです。
父、ジャン=ルイ・フランソワ・ヴァーニーは、ル・マンの主催者、オートモビルクラブ・ド・ルエスト(ACO)の副会長を努めました。さらに祖父、ルイ・ヴァーニーは1923年にこのル・マンのレースを創設したメンバーのひとりでもあります。
ル・マンと縁深い彼女がレースに興味を抱いたのは自然な流れといえるでしょう。1947年に地元で開かれていた24時間レースを見た6歳の彼女は、父親に「私、いつかあそこで走る」と宣言したそうです。数年後、ファッションショーでモデルを指差し、同じように母親に「いつか私も、あれをやる」と言ったこともあります。
「やるって言ったら、やる」
有言実行を信念とするアニー=シャルロットは、その後、どちらの夢も叶えました。
21歳で家を出たアニー=シャルロットはモデル学校に通い、すぐにロレアルやエルメスといったブランドのモデルを務め、4年間、彼女は世界中のキャットウォークを歩きました。
その後、ル・マンにあるレーシングスクールL’école de pilotage Bugattiに入学して、レーサーの道を歩みだします。入学した149名のうち、女性はなんとアニー=シャルロットだけ。
進級できるのはベスト50のみ、という過酷な条件の下、彼女は9位を獲得したのです。家族の話だけを聞くと、彼女のキャリアにはなにか力が作用しているように見えますが、彼女の実力は、確かなものでした。
そして1972年にシトロエンMEPカップに出場し、念願のレーサー・デビューを果たしたのです。
ル・マンに初めて参戦した1974年。彼女はBP(旧ブリティッシュ・ペトロリアム)からスポンサーを受け、ポルシェ911カレラRSRに乗り込み、総合13位にランクイン。その年の女性参加者の最高位でした。
1977年には彼女が所有していた、ポルシェ911カレラRSRで参戦し、翌年にはGTクラス優勝。その後、機材トラブルなどにより振るわない年が続きますが、1981年にはル・マンでの最高成績となる総合6位入賞と、自己ベスト時速358kmの樹立をポルシェ935 K3で叶えました。
また、1980年にポルシェが君臨したデイトナレースにも935と共に参戦し、9位入賞。アニー=シャルロットは、750馬力のパワーに圧倒された当時を振り返り、こんなコメントを残しています。
当時のポルシェは、現代のハイパーカーにも引けを取らないほどの性能でした。
(2026年1月21日 フランス・アンフォ掲載より)
アニー=シャルロットが、ポルシェと共に築いた戦績を見てみます。
パリ・サン・ラファエル女子ラリー参戦
1974年 911カレラRS 【総合2位・クラス優勝】
ツール・ド・フランス自動車部門
1974年 911カレラRS 【2位】
1975年 911 カレラ 3.0 【8位】
1977年 911カレラRS 【4位】
ル・マン24時間レース戦績
1974年 911カレラRSR 【13位・GTSクラス 7位】
1975年 911カレラRS 【11位・GTクラス 2位】
1976年 934 【13位・Group5クラス 6位】
1977年 911カレラRSR 【18位・Group5クラス 2位】
1978年 911カレラRSR 【12位・Group4クラス 優勝】
1979年 934 【19位・Group5クラス 3位】
1980年 935 K3 【31位・Group5 Pls de 2000cm3クラス 2位】
1981年 935 K3 【6位・IMSA GTXクラス 2位】
1982年 935 K3 【11位・IMSA GTXクラス 5位】
彼女は1983年のル・マン参戦を最後に、ラリーに転向します。そして1992年に開催された第14回パリ・ダカールラリーを最後に、レーシングカーを降りました。
しかし、いまだその頭の上には「ル・マンの女王」の冠をかぶったまま。次なる世代への王冠の継承を心待ちにしているのでしょうか、彼女は今でもル・マンの会場を訪れているようです。
“夢は見れば叶えられる”
Iron Dames 鉄のお嬢様集団
男性が中心のモータースポーツの世界で、女性が夢を叶えるために。
ポルシェは2025年シーズンよりチーム「Iron Dames(アイアン・デイムス)」とパートナーシップを締結しました。
アイアン・デイムスは、FIA 女性モータースポーツ委員会の元会長でもあるデボラ・メイヤーによって2018年に設立されたプロジェクトで、ドライバーは女性のみで構成されています。
ポルシェとのパートナーシップのきっかけは、2023年にFIA世界耐久選手権(WEC)の最終戦バーレーンで、ポルシェ 911 RSRと共に勝ち取った優勝(LMGTEアマクラス)です。これにより、アイアン・デイムスは世界選手権で勝利を収めた初の女性チームとなり、モータースポーツ界に新たな基準を打ち立てたのです。
ポルシェはアイアン・デイムスのために、FIA WECのクラス「LMGT3」への参戦枠を用意しました。このクラスはGT3車両規定を採用し、1メーカー1チーム2台という参戦台数が制限されている貴重な枠です。
にも関わらず、911 GT3Rのマシンを提供しているのですから、ポルシェの想いの強さが伺えます。アイアン・デイムスとのパートナー締結時に、ポルシェ・モータースポーツ責任者のトーマス・ローデンバック氏は以下のようにコメントしています。
このコラボレーションがすべてのシリーズで素晴らしい結果を生み出し、勝利と表彰台獲得という形で、モータースポーツにおける女性と少女の育成への貢献を確かなものにできると確信しています。
トーマス・ローデンバック氏、ポルシェ・モータースポーツ責任者
そして2025年、ミッシェル・ガッティング、サラ・ボヴィ、セリア・マーティン、ラヘル・フライの4人を中心としたチームは、ELMSの開幕戦バルセロナ4時間レースで優勝を、最終戦のポルティマオ4時間レースで3位に入り、シーズン2度目の表彰台を獲得しました。
残念ながら、モータースポーツ黎明期より女性レーサーが活躍していたにもかかわらず、現代においてもいまだ“女性”が注目されています。ドライバーのセリア・マーティンも自身の経験から、女性レーサーは個人の才能よりも、まず「女性であること」が重視されると語っていました。
元レーサーでアイアン・デイムスの設立者、デボラ・メイヤーは、女性と男性が同じフィールドで区別なく、競い合うことを夢に掲げます。女性だからといって特別扱いしてほしくない、自分たちの実力を見せつけ、世界のチャンピオンになりたい。その強い想いはチームを団結させました。
ミッシェル・ガッティングの腕には格言「夢は見れば叶えられる」がタトゥーで刻まれています。夢の実現に邁進する彼女たちの背中を見て、人々は勇気づけられ、自らの夢へと向かっていくのでしょう。
ご紹介した女性たちはそれぞれ、社会的、経済的、文化的、政治的、宗教的な立ち位置は異なりますが、時代の中でポルシェとの縁を結びました。そして彼女たちの持つさまざまな想い、夢を叶える力が、今のポルシェを支えているのです。
EBI DIGITAL STUDIO はこの記事をもって、過去から現代まで、時代を超えてポルシェを支えてきたすべての女性たちに敬意を表し、その生き方と力強さを称えます。
そして、より良き男女平等社会の実現に向けてエールを送ります。
▼過去の国際女性デーの記事もぜひご覧ください▼
Words: Yuki Kobayashi / Tatsuhiko Kanno
Photographs:Porsche AG